エッセイ

アロヒナニが日々感じたことを、気楽な感じで書きつづっています。



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1. 血の繋がりより魂の繋がり 2. 優しさと愛情のバロメーター
3. 無神経なひとこと 4. 存在価値
5. 人生の主役は自分 6. 人生に無駄なし
7. 人生の目標 8. 地位と名声
9. なるようにしかならない 10. ゲームはバカにできない
11. いろんな人がいる 12. 必要とされること
13. 愛する相手がいる幸せ 14. 受け取ること
15. 縁があるからこそ 16. お世話になっています
17. 優しさを感じるとき 18. 言葉の重み
19. カードは自分の内面を知るためのツール 20. セラピストとして必要なこと
21. 成功の影には努力 22. みんな1人の人間
23. エゴを手放す 24. 自分だけの個性
25. 責任を取る 26. 虹を作るのは自分自身
27. 人が一番難しい 28. させていただけるありがたさ
29. 人生は不思議 30. カルマミラクル
31. 一事が万事 32. 人間としての器
33. 心配より信頼 34. 謙虚さ
35. 常にセンタリング 36. 言葉のむずかしさ
37. 正負の法則 38. 責任とプレッシャー
39. 罪と罰 40. 自分のタイミング
41. 勢いがあるよりも 42. 楽に生きなよ
43. 見た目は大事 44. 理解されたい欲
45. あなたの恥は私の恥 46. 誰だって甘えたい
47. ゆるす 48. お金というエネルギーの循環
49. 中道をいく 50. 当然そうなる

1. 「血の繋がりより魂の繋がり」

血の繋がりって、 そんなに重要じゃないと思います。大事なのは、魂の繋がり。
私がハワイでお世話になったパパとママには、1人の娘がいました。名前はシャロン。彼女は、養女でした。養女といっても、ママの弟の子供なので、ママにとっては、姪にあたる。 ママの弟は、戦争中に、ドイツ人女性と恋に落ち、そして、シャロンが生まれた後、自殺してしまいました。 そのドイツ人女性は、アルコール中毒になり、生まれたばかりの赤ん坊の面倒を全然見なかった。そしてシャロンは、 ハワイの叔母夫婦の元へやってきました。

パパとママは日系2世なので、2人とも、顔立ちは日本人。 シャロンは、ドイツ人女性と日系人男性との間に生まれた ハーフなので、顔立ちは白人。 端から見ても、親子には見えない。
そのせいか、子供の頃、学校で、「貰われっ子」と、いじめられたことがあったそうです。
そんな時、パパとママは、「私達は、あなたの事がとっても愛おしくて、 欲しくて欲しくて、うちの子に、貰ったのよ。 だから、あなたは私達にとって、とても特別な子なのよ」と言ったのだそうです。
それから、シャロンは、養女である事に、誇りを持つようになったそう。

私は、この話をパパとママから聞いた時、すごく感動したのを覚えています。この3人は、私から見ても、本当にうらやましいくらい、仲が良い親子でした。 そして、全くの他人である私にも、本当の娘、妹、のように接してくれました。

ある時、学校のクラスメイトとの集まりで夜遅くなったので、家に電話してパパに車で迎えに来て貰いました。(パパとママから、夜1人でバスやタクシーに乗る事は禁止されていました)
その時、つい友人とのお喋りに夢中になり、待ち合わせの時間に、10分くらい遅れてしまったのですが、その時のパパの怒りはすごかった!
パパは、私の姿がないから、 ものすごく心配して、青くなっていたのです。
そうとは知らず、のんきに登場した私は、あまりの怒りぶりに、 泣きそうになってしまいました。

次の日の朝、ママから、「パパは、本当に心配だったのよ」って言われた時は、自分の子供でもない私を、こんなに心配してくれたパパに感謝の気持ちで一杯でした。
血は繋がってなくても、本当の親子になれるし、姉妹にもなれるんだなぁ、と実感しました。
夫婦だって、血は繋がってないのだし、やっぱり、血の繋がりはそれほど重要なんじゃないってことなんですよね。

以前、テレビで江原啓之さんも仰っていました。養子を迎えたとしても、「お腹の中で育てる十月十日の想いはなくても、魂の縁という点では実子とまったく同じ」と。
「遠くの親戚より近くの他人」なんて言う言葉もあります。もちろん、血のつながりも大事だけれど、魂の繋がりも同じように大切にしていきたいですね。

2. 「優しさと愛情のバロメーター」

優しさとか、愛情って、目に見えないからわかりにくい。
ある人にとってみれば、それは優しさや愛情なのだけど、受け取る方にしてみたら、そうじゃないかもしれない。
だから、その辺の感じ方が全く違う人とは、付き合うのが難しいかもしれない。

例えば、私の親友の話。 彼女は、とても控えめな人。
昔、ハワイ留学から帰国する日、私はてっきり彼女が空港に出迎えに来てくれていると思っていました。
でも、何人かの友人達は来てくれていたのだけど、彼女の姿はありませんでした。
来てくれなかったんだな・・・、ってちょっと淋しく思いました。

後からわかったのだけれど、彼女は、1年ぶりの家族との再会を邪魔したくなくて、遠慮していたのです。
私は、そんなことより、すぐに会いたかったのに、って思ったけれど、 でもそれが彼女の良さであり優しさなのだって納得しました。

母が入院した時、周りの人が心配してくれたけど、その優しさもそれぞれ。
料理を作って差し入れしてくれる人、そっと見守ってくれる人、電話をくれる人、その優しさにランクなんてない。
そっけなく見える人が、実はすごく優しかったりする。
後で、あれは優しさだったんだってわかる時がある。

優しい言葉をかけるだけが優しさなんじゃない。
確かに、優しい態度はわかりやすいけど、目立たない優しさの方が骨身にしみるような、思い出に残るような、そんなときもあります。
愛情もそうですよね。
愛しているって言葉にするのは簡単かもしれないけど、じゃあ、どれだけ愛してるのかって、形に出来ない。
だから、人は、自分が求めるものを自分の好きな方法で与えてくれる人といると楽なのだと思う。こちらが求める優しさや愛情の表現を、自分の好きな方法で与えてくれる人。そんな人と出会えたらお互いに理解しやすくて長続きするのかもしれませんね。

3. 「無神経なひとこと」

誰でも、無神経なことを言ってしまう時があると思う。
悪気はなくても、その一言が相手を苦しめてしまうことがある。
昔、私があることでとても悩んでいた時、友人に相談しました。
その時に友人が私に言ったひとこと。
「あなたは私よりも良いじゃない」

ようするに、友人は、私の状況よりも自分の状況の方が大変だと感じたのです。
そして、私なんてね・・・・と、友人の愚痴が始まり・・・・・・。
私は、ただ聞いて欲しかっただけなのに・・・・とがっかりしました。

また、あるとき、ある友人に悩み事を打ち明けたら、「そんなことどうでもいいことじゃん?」という一言で終わらせられてしまいました。
悩みごとの相談を聞くって、確かに難しい。
こちらからしたら、どうでもいいようなことでも、当人にとってそれが大きなことだったりしたら、軽々しいことは言えないし。

また、そのほかにも、いろいろな人とお会いする中で、びっくりするような失言を聞いたこともあります。
言葉って難しいですね。
本人は悪気なく言ったセリフでも、いつまでも心にグサっとはまってしまうこともあるかもしれない。
だから、自分の発言には気を付けなくてはいけない、と思う。

だけど、人間だから、つい言ってしまうこともあるでしょう。
すぐに謝ることが出来ればいいけど、それが出来ない時もあります。
心にしこりとなって、何だか気になる日々が続いたり・・・
日が経てば経つ程、どんどんしこりが大きくなってしまいます。
言われた方も、すぐには忘れられないから、厄介です。

無神経な一言というのは、言った方にも言われた方にもしこりとして残る。
傷つくのは両方なのかもしれません。

4. 「存在価値」

自分の存在価値って?と思うことがあります。
自分の存在って、少しは人の役に立っているのかしら?
自分には、何が出来るのだろう?
自分には何も出きないのでは、と弱気になったり。
自分はこれが出来る!と思っていることでも、 もっとすごく出来る人がいたりしたら、途端に自信がなくなったり・・・。

たいていの人は、親から誉められた経験が少ないのでは、と思います。
小さい頃はあるかもしれないけれど、大きくなっていくとともに、誉められる回数が減ってくる。

たとえばアメリカなどでは、子供は誉めて育てるというけれど、日本人の親の場合は、なかなかそうはいかないようです。
親に限らず、大人になればなるほど、人から誉めてもらうことが少ない気がします。
別に、誉められる必要はないかもしれませんが・・・・・・。
でも、人に誉められて悪い気はしないし、むしろ嬉しいし、自分に対する評価がぐんとあがったりしますよね。

でも、人に誉められたくて、すごいって言ってもらいたくて 自慢話をする人がいるけれど、(その気持ちはわかるけれど) 自慢話しないほうが格好良いのにって思います。
どんなにすごいことでも、自慢された瞬間から、すごいと 思えなくなってきてしまうんですよね。

私が死んだら、何人くらいの人が寂しがってくれるかな? なんて、自分のお葬式の様子を想像してみることもあります。
私1人が死んだって、世の中は変らず過ぎていきます。
でも、たとえ少ない人数でも、自分がいなくなった時に寂しがってくれる人がいれば、存在した価値があるってことかなぁ・・・、なんて思います。

5. 「人生の主役は自分」

20代前半の頃、コンパニオンをやっていました。
現場研修を受けていたころ、インストラクターに言われました。
「ここはあなた達のステージです。控え室を一歩出たらあなたのステージなのです」

歩き方、喋り方、笑い方、落し物の拾い方、写真の撮られ方まで徹底的に指導されました。
「あなたのステージを演出するのはあなたです。どうせだったら美しく振舞いましょう」

その当時は厳しい研修にめげぞうになったけれど、今思うと、ありがたい指導を受けたと思います。
このインストラクターの方のセリフ、これは人生と同じだなぁ、って。
人生というステージを演出するのは自分なんだから、どうせなら楽しく振る舞いたいですよね。
自分が主役になれるのって、自分の人生の中だけですものね。
だったら好きなように、演出できるはず。

ときどき私たちは、他人を自分の人生の主役にしてしまいます。
「あの人のためだから、これをやる」「あの人に反対されたから、これをやらない」
あるいは、四六時中、ある人の事を心配していたり、恨んでいたり、逆にうらやましく思っていたり。

自分の人生なのに、他社を思うことで時間を使ってしまっては、時間がもったいないです。
自分の人生の主役は自分。 もっと自分のことに集中しないともったいない!
どうせだったら素敵なドラマを作りましょう!

6. 「人生に無駄なし」

「人生に無駄なし」っていう言葉は、辛い時には中々納得出来ませんよね。
こんなに辛いことがどうして自分に起こるのだろう?
どうしてこんなことが自分に必要なのだろう?
後になって振り返ってみて、あれも必要だったんだなって思える出来事ばかりではない。
だけど、それを無駄だと思ってしまうと、自分の人生をも否定してしまうことになってしまう。

だから、どんな出来事も宝物箱にいれておかなくちゃ。
悪い出来事さえも宝物だと思えるようになれば、自分の人生も豊かになる。
まあ、なかなかそう簡単には出来ないけれども。
でも、宇宙を信頼していればいいんですよね。

どんなことも、自分のために起こっている。
晴れの日ばかりでは、土が乾いて草木が育たない。
夜が終われば朝が来るし、冬が終われば春がくる。
自分の人生にだって、サイクルがある。
そのサイクルに逆らわないで、自然のままに生きる。
何もかもをちゃんと受け止められるくらい強い人になるのは簡単じゃないですが、でも目指したいと思います。

7. 「人生の目標」

私には人生の目標というものがありません。
あえて言うなら、「幸せな人生を送ること」、でしょうか。
目標があって、それに向かってがんばっている人を見ると、とてもうらやましいなぁと思う。
昔、ある職業につきたいと思って一生懸命努力したことがあったけれど、夢は叶いませんでした。

この何年かの自分を振り返ると、ただなんとなく流れに任せていたら、気がついたらこうなっていたという感じ。
気がついたらライターをやっていて、気がついたらスクールを設立していて、気がついたら本を出していた。
それまでの人生で、スクールを設立したいと思ったことは一度もなく、そのほかにも想像もしていなかったことをこの何年かでやることになりました。

まあ、こんな生きかたもいいかな・・・・・・。
振り返ってみたら、こんな意外なことをやっていた、そんな人生も楽しいですよね。
テレビで、今後の目標を聞かれたある著名人がこんなことを言っていました。「目標は立てません。目標を決めてしまうと、制限ができてしまう気がするから。自分が精いっぱいいろいろやっていれば、おのずと道は決まっていくから」と。
目標がないっていうことは、案外可能性がたくさんあっていいのかも!と思っている今日このごろです。

8. 「地位と名声」

もう何年も前の話しになるけれど、とても活躍していたあるスポーツ選手とお友達だったことがあります。
その人が言っていました。 「成績が良いときは知り合いが増える」と。
そして、「有名選手だから ということで寄って来る人がたくさんいる」と。

活躍している時はいいけれど、そうじゃなくなったとき、どうやって生きていくか、それがとても難しい。
活躍している最中だって、常に成績を残さなくてはいけないプレッシャーと戦い続ける。

スポーツ界って一見華やかだけど、本当に厳しい世界。
そのせいなのか、私生活で派手に遊びたがる人が多いのも事実。

20代の頃のことだけれど、色々な分野のプロ選手達と交流していたことがありましたが、彼等の派手なお金の使い方、そして女性への接し方は、ちょっと度を越していたように思う。
そうやってハメを外すことで、仕事でのプレッシャーなどを忘れ精神のバランスを取ろうとしていたのかもしれません。
普通の人である、ということは、すごく気楽なことだと思う。
守らなければいけない地位とか名声とか、そういうものが一切ないというのは本当に気楽です。

有名になりたいと思っている人がいる。
有名になった がゆえに不自由な想いをしている人もいる。
華やかな生活をしているからって幸せだとは限らない。
人は誰でも、他人には理解してもらえない孤独とか悲しみを抱えているのではないでしょうか。

9. 「なるようにしかならない」

映画「ロード・オブ・ザ・リング」の中で、すごく私の胸に残っているセリフがあります。
主人公が「あの指輪さえ手にしてなかったら、こんなことにはならなかったのに」とつぶやいた時、賢者が主人公に言った言葉。
「つらい目に遭うと皆そう思うが、どうにもならん。それより自分が何をすべきか考えることだ」

そうですよね、ほんとうにそう思います。
だけど、なかなかそう出来なかったり……。私も、よく、過去のことを後悔してしまいます。
「あの時、あれをしとけば……。あの時、こう言っていれば……」
後悔したって、過去のことは変えることが出来ないのに。
たまに、未来のことだって、「こうなったらどうしよう、こうなって欲しくない」と、いらぬ心配をしてしまいます。

そういうとき、私はこう思うようにしています。
「なるようにしかならない。なるようになる」

これは、決してネガティブな意味で思っているわけではありません。
私がイヤだと思う事柄でも、必要だったらそうなるわけで、私がいくら抵抗しても無駄。
だったら、天にすべてお任せするしかない。
そして、何かが起こったとき、「なるようになったんだ」って。
そう思うようになってから、だいぶ楽になりました。

自分の今の状況は、決して満足のいくものでも、納得のいくものでもないけれど、「なるようになってるんだ」って思います。
海の波にのまれて、必死にもがいても、疲れるばっかりで全然たどり着けない。
だけど、力を抜いて波の行く方向に身を任せていたら、自然に浜にたどり着くかもしれない。

思うようにいかなくても、「ま、いっか」そう思えたら楽ですよね。
起こったことの理由なんて、必ずしもわからなくていい。
全てに意味がある、と思って考えていても、疲れちゃうだけですもの。

電車に乗り遅れることだって、せっかく頼んだジュースをこぼしちゃうことだってある。
そんなときは「ま、いっか」、それだけでいい。

10. 「ゲームはバカにできない」

以前使っていたパソコンに元々入っていたゲームで、お気に入りのものがありました。
10ステージまであって、そのステージごとに色々な敵が出てくる。
武器とか経典とか敵を一発で倒せるカードとか、色々な道具が道の途中に転がっていて、自分のかばんの中にいれておいて、いつどこで使うかは自分の自由。
でも、かばんに中に入れられる道具の数は決まっているので、途中でどんなに素敵な道具が転がっていても、何かを捨てなくては拾うことができない。あれもこれもキープっていうことが出来ないのです。

ゴールに近づけば近づくほど敵のレベルもアップしていく。
さっきのステージでは強いと思った敵が、簡単に退治できてしまう。

最初は、ゴールするだけで精一杯だったけれど、そのうち、ゴールするときの自分のレベルを上げることに熱中していきました。
なるべく高いレベルでゴールするためには、たくさんの敵と戦わなくてはいけない。
でも、ウロウロしていたからといって、必ずしも敵が出てきてくれるとも限らない。
ウロウロしている分、体力がどんどんなくなってしまうことも。

だんだん、敵が出てきてくれたときは、感謝さえしてしまう。
私のレベルアップのために出てきてくれてありがとう!
最初から良い武器を手にすることもあれば、最後のほうになってやっと手に入るときもある。
いきなりたくさんの敵が集中してくるときもあるし、全然現れないこともある。
でも、たぶん10ステージで出てくる敵の数はトータルでは一緒なのではと思う。

私はこのゲームをしていて、人生と同じだな、としみじみ感じました。
与えられる武器や道具は自分では選択できないけど、手に入ったときにどうやって使うかは自分の工夫次第。
ステージが上がれば、それだけ敵も強くなっていくけど、それは自分も強くなっている証拠。
このゲームでは、そのステージ上での敵を全て殺さなくても、次のステージに行くことが出来るけど、十分にレベルアップしない状態で次のステージに行っても殺されてしまう確率が高い。
やっぱり、そのステージでやるべきことをじっくりやってからじゃないとダメなんですよね。

これもまさに人生と同じだなぁと思います。
たかがゲームだけど、人生を学べちゃいました。

11. 「いろんな人がいる」

数年前、取材がてら、ある外国人スピリチュアル・リーダーAさんの来日ワークショップに参加したときのこと。
人間関係に焦点を当てたそのワークショップでは、参加者同士がペアになってゲームをしたり、自分の意見をみんなの前で発言したりして、なかなか面白い内容でした。

このワークショップに、あるベストセラー作家のHさんが1日だけ参加していました。
ワークショップの最初、一人ひとりが自己紹介をするときに、Hさんはフルネームを言わず、下の名前だけを言ったのですが、私は、みんなに騒がれたくないのかな? 控えめだな、と好印象でした。とても気さくで、感じの良い人だと感じたのです。
その次の日のワークショップでは、その日は不参加だったHさんからAさん宛てに大きなお花が届いていて、会場に飾られていました。私はHさん、さすが粋なことをするなぁと感心していました。

ところが、ある参加者の一人にとって、Hさんは悪印象。
下の名前しか言わなかったのは計算だ。自信ありげでいやらしい奴だ。お花を送ったりして目立ちたがり屋だ、と。
同じ人と接して、正反対の印象を持ったことに驚きました。

どんなに素晴らしい人でも、全員からよく思われるっていうことは難しいものなのですね。
本当に、いろんな考えの人がいて、それぞれ間違っていないと思いますし、その中で、自分と考えが合う、波長の合う人と付き合っていけばいいのですよね。
また、そういう人が自然に自分に引き寄せられてくるのでしょうね。

12. 「必要とされること」

生きている以上、人から必要とされる人間でいたいと思います。
以前、あるニューエイジショップに毎週のように遊びに行っていました。
オーナーの Iさんは、ユーモアがあり心温かい人。
人の良い点を引き出すのが得意なIさんから、私はいつも励まされていました。

その頃、Iさんはお店でとても安い金額でミニ・ワークショップをやっていました。
友人2人と私の3人で参加したときのこと。
「自分の言ってもらいたいセリフを、他の人から言ってもらいましょう」というワークをやりました。
そのときに私がリクエストしたのが「あなたが必要です」という言葉。
私は Iさんと友人2人から、それぞれ「アロヒちゃんは私の人生で必要な人ですよ」という言葉をかけてもらいました。
そして同様に、Iさんや友人2人も、それぞれ言ってもらいたい言葉をリクエストし、私たちは心を込めて言葉をかけ合いました。私たちは感動して泣きそうになりました。
仲良くしていた友人同士だったこともあって、お互いに感動が大きかったのです。

私が仕事のことで色々と悩んでいたときのこと。
私の友人が「会社にとってあなたは必要な人なんだよ」と言ってくれました。
そのときのその言葉に、私はどれだけ癒されたことでしょう。
入院して会社をしばらく休んだあと、「あなたがいなくて寂しかった」と言われとき、どんなにか嬉しかったことでしょう。

人から必要とされなくなることほど悲しいことはない、と私は思います。
おばあちゃんになっても、たった一人の人からでもいいから必要とされていたいと思うのです。

13. 「愛する相手がいる幸せ」

以前、ご主人を亡くしたばかりの歌手のMさんと取材でお会いしたときのこと。
ご主人を亡くして3ヶ月、やっとご主人のことを口に出して語ることができそうだ、とMさんは落ち着いた口調で色々と語ってくれました。
ご主人のことを話すときのMさんは、本当に恋する少女のように目をきらきらさせていました。
「本当に本当に素敵な人だったの」と、何回も何回もおっしゃっていました。ときに涙を流しながら……。

Mさんは、父親の酒乱、家庭内暴力など、とても大変な人生を歩んできた人。
誰からも愛される資格がない、と思っていた彼女は、人から愛される喜び、人を愛する喜びを、ご主人から教えてもらったそうです。
「愛することができる相手がいる幸せ、それを教えてもらったの。愛すると、何百倍にもなって返ってくる。人を愛するとね、喜びが生まれるでしょ。それは、返ってきているってことなのよ」

Mさんの口からその言葉を聞いたとき、私は目からウロコが出そうになりました。
愛されたかったらまずは愛しましょう、なんていう言葉は、珍しくもなんともない。
愛すれば戻ってくる、というような言葉も、イヤというほど目にしてきました。
物理的に返ってこなくても、目に見えない形で戻ってくる、というような考えも耳にタコ。
でも、今回、Mさんの言葉を聞いて、私の魂が感動しました。

人を愛することができる、それはとってもハッピーなこと。
でもそれは、「自分がハッピーなだけで、私の自己満足なんだ」と、思ってしまいがち。
自分がハッピーな気持ちになることイコール返ってきている、という考えが私にはなかったのです。

同行の編集者は、自分の子供を見ると、「愛する相手がいる幸せ」を感じるそうです。
私のお気に入りの本に、「無条件の愛」という本があります。
なんて素晴らしい言葉だろう、と思います。
そんな愛情を誰かに感じることができたら、それだけで幸せなことではないでしょうか。

14. 「受け取ること」

与えることは得意でも、受け取ることが苦手な人は多いのではないでしょうか。
私は昔から、何故か人からギフトを貰うことが非常に多いです。物質的にも精神的にも。
そのたびに私は、なんだか申し訳ない気持ちになってしまいます。
こんなにお世話になってしまって申し訳ない。こんなものを貰って、何かお返しをしなくては。
あの人は私にこれだけのことをしてくれたのだから、私もあの人のために何かしなくちゃ。

私の友人に、受け取ることがとても上手な女性がいます。
みんなで食事をして、誰かが奢ってくれたとき、「ありがとう!」と満面の笑みでお礼を言い無邪気に喜べる彼女。 でも私は同じその場にいても、恐縮してしまって、「ありがとう」ではなく、「すみません、でも申し訳ないので、私も少し出します」などと言ってしまいます。
そして私は後日その奢ってくれた人に会う際にお礼の品などを持参してしまいます。

でも私の友人がお礼をしている場面を見たことはありません。それでも彼女は嫌われることはないし、かえって、いつも皆から奢ってもらったり可愛がられています。
それはなぜか。つまり、彼女は無邪気に喜ぶその姿で相手に十分に応えているからなのですね。
「受け取るということは、与える人に喜びを与えること、相手に貢献すること」

与える人が与えることで幸せになれるのなら、感謝の気持ちを持って、ただ喜んで受け取ればいい。せっかく与えようとしている人を拒否することは、その人に悲しみを与えてしまいます。
自分の立場に置き換えても、何かをしてあげたいと思ったとき、相手が受け取ってくれなかったら、とても悲しいし。
私も手放しで受け取れるようになりたい。それが私の課題でもあります。

15. 「縁があるからこそ」

あるとき、親しい人との関係でとても苦しい思いをしたことがありました。そんなとき、こんなことを思いました。
「縁があるからこそ、良い面だけじゃなく、イヤなところも含めて関わっていくのだ」と。縁がある人との関係は、表面的なことだけじゃなく、深いところに影響を与え合っていくのだ、と。

誰かと何かがあったとき、自分だけが傷ついているのだ、と思いがちだけれど、違うんですよね。
友人のHPの日記に書いてありました。
「刀は片刃で相手だけ傷ついているのではなく、それは両刃で、切った者もまた傷ついている。私たちは痛み分けをしている」と。
そうやって傷つきあいながらも、お互いの成長のために関わる人、そういう人って本当に縁が深いのだと思います。縁が深いからこそできるのでしょう。
だって、痛みを引き受けた上で、行われることですから。

昔、仕事で関わっている人との間で、長い間悩んでいたときがありました。憎んだこともあったし、顔を見るのもいや、と思ったこともありました。
でも、その人のおかげで今の私があり、感謝の気持ちもたくさんありました。
あるとき、ふと思ったんです。
「一番傷ついているのはあの人なのかもしれない」
私がこうやって好きな仕事をして、いろんな人に会って、その人脈で素敵な体験ができて、その陰で苦しみを引き受けてくれているのは、あの人なのだ、と。

何か人からイヤなことをされたとき、喧嘩をしたとき、落ち込んだとき。
「私の成長のために、一役買ってくれてありがとう。悪役を引き受けてくれてありがとう」
そんなふうに思って感謝できたら、その人との関係がもっと豊かになるのではないでしょうか。
思いというのは、必ず届くといいます。
もし気まずい思いをしている相手がいたら、「ありがとう」という言葉を、そっと送ってみて。目には見えなくても、相手の人の気持ちが楽になっていることでしょう。

16. 「お世話になっています」

以前、親しくさせてもらっている友人Hさんとご飯を食べていたときのこと。
Hさんは、サイキックな能力がある女性。
その夕飯の場には、友人のKさんもいました。
Hさんが、Kさんに、「あなた、たまに私にくっついてきちゃうのよ。よく家にもいるわよ」と発言すると、Kさんはとても驚いていました。つまり、幽体離脱の状態でくっついていっている、という話でした。

私は、その話を笑って聞きながら、「私も行っていたりして」と冗談を言ってみました。
すると、「来ているよ」とHさん。
Kさん以上に私は驚きました。「え? いつ? 私も行っているの??」
Hさんの、「去年の○月ごろよ」という言葉に、私は納得。自分でも身に覚えがあったのです。

今思えばそんなに大した出来事でもなかったのに、なぜかひどく精神的に落ち込んでしまったことがあって。そのときに、Hさんのことを思い、「電話して話を聞いてもらおうかな」と思った瞬間に、Hさんから電話があったのでした。
Hさんは、教えてくれました。
私は泣きながらHさんの部屋に立っていたのですって……。
Hさんはそのとき、少し私の話を聞いてから、私に電話をくれたのだそうです。

そんな話を聞いて、私はびっくり!!
よく、見えないところでもお世話になっている、っていうけれど、本当なのね……。
誰かが、自分の知らないところで、そっと助けてくれているのね……。
どうしても、見える部分にしか気がつかないけど、そうやって人は支えあっているのね……。

「また行ったらごめんね」という私に、やさしいHさんは「いつでもどうぞ、汚い家だけど」と言ってくれました(笑)。
ほんとうに、みなさま、いつもお世話になっております。
もしも、あなたのお宅にもお邪魔していたら、ごめんなさいね(笑)。
そのときは、座布団でも出してください(笑)。

17. 「優しさを感じるとき」

ごく当たり前の言葉なのに、なぜかとても”目からウロコ”のときがあります。
以前、朝の連続ドラマを見ていたときのこと。
登場人物の青年が「僕は優しい人間じゃない。冷たい人間なんだ」と言いました。
すると、その青年の親代わりみたいな役どころの人のセリフがこう。
「お前は優しいやつだ。だから僕はお前に優しくしたくなるんだ。人が誰かに優しくするとき、それはその人の優しさを感じるからだ」

確かに、誰かに優しくするときは、その人のことを好きだからですよね。
嫌いな人に優しくしたいって思わないですよね。
いつも自分に優しくしてくれる人には、やっぱりその優しさを返したいって思う。
みんなそうやって、優しさを与えたり受け取ったりしている。
誰かに対して優しくしたいと思うとき、与えるだけじゃなくて、自分自身の中にも優しさが広がって、とても心地良くなる。与えると同時に受け取っている瞬間です。

誰かに優しさや愛情を感じることができるっていうのは、それだけ自分が幸せな証拠ですよね。
そして、私の友人達にも、私の彼らへの愛情を感じてもらえたらなと思います。

18. 「言葉の重み」

あるとき、知人がこんなことを言いました。
「責任というものを負う人は、軽々しく言葉にして言わない」
「人にも色々なタイプがいるけど、真面目な人ほど言葉にださない」

うちの父が入院していたとき、担当医は、「治します」とか「大丈夫です」とか一切言いませんでした。
「良くなると期待はしています」とか、「治りづらいかもしれない」とか、上手い言い回しで、断言するようなことは絶対に言わなかった。たぶん、大抵のドクターがそうなのでしょう。
ヘタなことを言うと、「あのときこう言ったのに」と責められるだろうし、責任がある立場だから、言葉に慎重にならざるをえない。

父の担当医の中でも一番下のAK先生は、ものすごく言葉を選んで発言していました。
(大学病院というのは、大体3人1組で患者を担当します)
AK先生が、まだ研修医を終えてから2年しか経っていないことを他の先生から聞き、経験が少ないため、上手く答えられないのだな、仕方ないな、と思っていました。

あるとき、私の叔母から電話がありました。私や母がいない時間帯に父のお見舞いに行った叔母は、「先生から話を聞きたい」と看護師さんに申し出たそうです。
すると、先生と連絡を取った看護師さんからこのように言われたとか。
「1番上の先生は今日いません。2番目の先生は手が離せません。3番目の先生は、うまく説明できないので、と断られました」

それを聞いて私は、AK先生は正直で素晴らしい、と思いました。
もっともらしいことを言って医者ぶるより、正直に伝えたのだから。
自分の責任というものをちゃんと自覚している人は、めったなことは言わないのですよね。
私も気を付けたいと思います。

19. 「カードは自分の内面を知るためのツール」

私が広めているマナカードは、本当に見ているだけで癒されるし、深い気づきをもたらしてくれるカード。
ワークショップをやるたびに思うけれど、やればやるほど参加者のみなさんのリーディングが上達していって、何かに気づくたびに嬉しそうな顔をしてくださる。
みなさんのきらきら輝く目を見るたびに、ああ、マナカードに関われて幸せだなぁ、と思う。

マナカードを広めている身でこのようなことを言うと、誤解を招くかもしれないけれど、実は私は、最終的にはカードは必要なくなるんじゃないかと思っているんです。
たまに、カードを引く前に、なんのカードが出るかわかるときがあります。
カードを選んでいる途中で、頭の中にカードが浮かび、1枚引くとちゃんとそのカード。
カードや本は、自分の内面を見つめたり、直感を働かせるために力を貸してくれる道具だから、本当は、何もなくても気づけるのがいいんですよね。
だけど、中々そうはいかないから、みんなそれぞれ自分に合ったものを使う。

ワークショップでいつも言うことなのですが、なんのカードを引いたか、そのカードの意味はなんなのか、ではなくて、そのカードを引いて自分が何を感じるかが一番重要。
そのカードの意味を読んでみて、ぴんとこなかったら、それでもいい。
解説本を鵜呑みにするのではなく、カードを引いたときの直感、その絵から受ける印象、自分が何を感じたかを大切にしてほしいんです。
本って、あくまでも人が書いたもので、人の意見ですよね。
だから、その中から共感できることだけを吸収すればいいんです。

運が良い人っていうのは、直感にも優れているそう。
自分の内側から出てくるものに勝るものはありません。
そのためのツールとして、マナカードがあり、エンジェルカード、タロットカードetcがあるんです。
そういうものを一切使わず、ヨガや瞑想をして自分と対話したり、気づきを得る人もいるし、方法は人それぞれ。
マナカードが、みんなの人生を楽しくするためのツールになれるのだとしたら、そんなに嬉しいことはありません。そう思いながらマナカードを広める活動をしている私です。

20. 「セラピストとして必要なこと」

生徒さんたちからよく聞かれる質問に、「霊感などがないのですが、私でもできますか?」というものがあります。
私は、スピリチュアル業界で数年仕事をしてきたけれど、「サイキック能力と人格は比例しない」とつくづく思います。
どんなにサイキックでも、どんなにエネルギーを扱える能力があったとしても、人を癒す能力とはなんにも関係がない。
見えるもの全部言ってしまって、その後の解決法を伝えずに不安な思いをさせている人、エネルギーワークはできるけど、言葉がとてもきつくて人を傷つけている人、そんな人がいます。

逆に、そういう能力は全然なくても、とても思いやりがあって、人を元気づけることができる人もいます。
私が父を亡くして悲しみの中にいたときに、私をもっとも励ましてくれたのは、スピリチュアルなことなんて何も知らない学生時代の友人の言葉でした。
確信を持っていえることは、「人を癒すのに、特別な能力なんて必要ない」ということ。
一番大切なのは、思いやりだと思います。

心配や同情も必要ありません。
相手のことを心配することは、本当の優しさではないと思います。
心配するっていうことは、信頼していないっていうことにも繋がりますし。
それよりは、「あなたなら絶対大丈夫」っていうポジティブなエネルギーを送ってあげたほうが、よっぽど相手のためにもいいと思います。

私も昔は、「心配してくれる」ことが優しさだと思っていました。
でも、「大丈夫?」なんていうことは、うわべだけでも簡単に言える言葉であって、そんなことより普段は黙っていても、困ったときにさっと手を差し伸べられるのが本当の優しさ。
エネルギーは、目に見えないけれど、すぐに相手に届きます。
だから、同情や心配のエネルギーを届けるよりは、「あなたは乗り越えられますよ」っていうエネルギーを送ってあげたほうがいい。

そして、相手を安心させてあげられる雰囲気を持つことも大事だと思います。
声のトーンや喋り方が素敵な人って、たとえ言葉は大したことを言っていなくても、聞いているだけでとても癒されます。
逆に、すごく良いメッセージでも、無表情で伝えられてしまったら、全然ワクワクしない。
そういうことを考えていくと、結局、セラピストに必要なことって、人間として普通に必要なことなのだと思います。
挨拶はきちんとする、言葉はちゃんと選ぶ、表情は明るく、などなど……。

セラピストという職業をしている人はみんな、たくさんの経験を乗り越えた人だと思う。
人の経験に共感できる、相談に乗れる、アドヴァイスをできる、ということは、自分もそれだけいろいろな経験をしているはずだから。
私の人生にもそれなりにいろいろなことがありました。
10代の頃から20代の前半までは、死んでしまいたいと思ったことも何回かあります。
だからこそ、人の痛みが理解できる。
自分の暗い思い出、辛かった経験は、「人を励ますことができるようになるためのトレーニング」だと思って、胸に輝く勲章にしてしまえばいい。

誰にでも最初の一歩があります。
私にも、1人500円でミニリーディングをしていた時期がありました。
マナカードを手にしているみなさんには、自信を持って、どんどんリーディングをしながらたくさんの人たちを癒してあげていって欲しいと思います。

21. 「成功の影には努力」

先日、高額納税者が発表されました。世の中には、稼いでいる人たちがたくさんいるんですね!
そのような成功を掴んでいる人たちを見ると、昔の私なら、「うらやましい」というのが第一声だったと思います。
でも、今の私に最初に浮かぶ言葉は、「いろいろ大変だっただろうな」ということ。

最初にマナカードアカデミーを起ちあげてから、本当にいろいろなことをクリアしなければいけませんでした。事業をやっていくのは本当に大変なこと。
周りの人たちからは、「好きなことやっていていいじゃない」「うやましいわ」などと、賞賛めいた言葉を頂くけれど……。

とかく人っていうのは表面しか見なくて、輝いている部分だけを捉えて勝手に解釈するものなんですよね。
でも、光が強ければ、影も濃いから、成功したり、目立つ存在であるということは、注目もされるけどそれと比例して、抱える苦難も大きいはず。

雑誌の編集とライターをやっていた頃、数々の有名人にお会いしました。
成功している人たちは、みんなとても努力しているし、今の成功にあぐらをかいたりしていない。
作詞家の知人は、かなり有名な曲の歌詞を書いているけれど、年収3万円だった時代があるそうです。
そして、売れっ子になった今も、一生懸命書いた詩が、コンペで落とされたりしている。
運や才能だけでは食べていけない厳しい世界で、仕事を貰い続けるというのは、並大抵の努力ではないはず。
それでも、「印税だけで食べていけるでしょう?」などと羨望の目で見る人もいるそう。

たとえば、収納の達人、近藤典子さんは、主婦のカリスマとなり、今では知らない人はいないほど。でも、近藤さんは、元々はダメ主婦だったとテレビでおっしゃっていました。
子供を死産し落ち込んでいたときに、ご主人が引越し会社を起ちあげ、そのお手伝いをすることになった近藤さんは、現場で引越しのプロの主婦たちに、「そんなんじゃダメ」と怒られてばっかりだったそう。
それで、自分で努力し、いろいろと工夫するようになり、現在に至っているそうです。
何が自分の人生を変えるかわからないものですね。

何の努力もなし、ただラッキーだけで成功している人なんていないはず。
成功していればしている人ほど、努力や試練の数は多い。
大事なのは、どんな逆境も失敗も、成功への一歩にできるポジティブな心。
負けずに、諦めずにチャレンジし続ける気持ち。
向上心を失わずに、目指し続ける勇気。
私も、人には自分の影の部分を感じさせないくらい、平然とやってのける強さを持てるでしょうか……。

22. 「みんな1人の人間」

以前、オーラの泉で江原啓之さんがおっしゃっていた言葉が、とても好きでした。
ゲストの人が両親に対して怒りの気持ちを持ち続けていることについて、「親も1人の人間だから、そう見てあげてください」というような言葉をかけていました。
親と思うから腹も立つのであって、向こうも1人の人間なのだな、と思えば、そう腹も立たないのだ、という感じのことをおっしゃっていたのです。
本当にそうだと思います。
私も親に対して、今までのことを思い出すと、よくもあんなことを!と許せない事柄もあるけれど、彼らも1人の人間で、しかも、私の子供の頃なんて彼らもまだまだ若かったわけだから、仕方ないなと思います。

自然療法界でとても有名なある先生がいて、何年も前にその先生から学んだ友人から、その当時のことを聞いて、かなりびっくりしたことがあります。
「その先生もその頃は発展途上だったのだな」と思います。
「先生」とか「有名人」とか「すごい人」という枠を作るからガッカリもするわけだし、先生だから、有名だから人間的にも優れている、と思うのはこちらの勝手。
それは、その人の役目だからやっているだけで、人格的に素晴らしい、というのは別問題だから。

誰だって、1人の人間で、弱い立場になることもある。
そう思えば、何が起こってもその人を一方的に非難することはなくなる気がします。
人を非難すれば、絶対に自分も非難される立場になる。
腹が立ったときは、「ま、あの人も1人の人間」と思えばいい。
ということで、もしも私に対して腹が立ったときは、「ま、所詮ただの人だから」と思って許してください(笑)。

23. 「エゴを手放す」

なにかをするとき、自分のエゴがない状態でやるとうまく流れていくけれど、自分だけがとか、エゴエゴの状態で進めていくと、必ず壁にぶちあたると思います。
私は、マナカードやフラを通してハワイ文化を広めたいと思っています。
それは、1人でも多くの人が、ハワイ文化やマナカードを知ることでより豊かな生活を送ってもらえたらという思いからです。そして、1人ひとりが平和になることで、戦争もなくなっていくと思っているから……。
マナカードに関しては、じょじょに使ってくださっている方々が増えてきました。
占い師のかたでも使ってくださっている人が多いし、アカデミー関係者以外にも、講座などをやっている人たちもいるよう。それはそれで、とても嬉しいです。
私にとっては、マナカードが広がることが目的だから、誰がやっているとか、どんなふうに使っているとかは、関係ないんです。独占しようとも思っていないし。
もちろん、悪用していたり、著者権を侵害するようなことは困るけれど。

マナカードを占いという言葉で表現している人たちもいます。
マナカードが雑誌に取り上げられるときは、やはりどうしても占いというジャンルになってしまいます。
本当は、もっと哲学が盛り込まれていたり、単なる占いではないんですよ、と言いたいところだけれど、そんなことは必要ないんです。
縁があって手元に届けば、おのずとわかってくることだし。
なによりも、マナカードが広がることのほうが大切なのだから。

そして、誰がやっているとか、そういうのも関係ない。
アカデミーの講座に来なくたって、マナカードを愛してくれているひとたちはたくさんいるし、そういう人たちがマナカードを使うことによって、宣伝してくれているのですから!
私は、たまたまマナカードを手に取ったのが他の人よりも少し速く、たまたまご縁があったからマナカードアカデミーをやっているだけ。そう思っています。

ある編集者の人がおっしゃっていました。「自分の我が出て作った本は散々な結果になっている」と。すべてはエネルギーです。
これがみなさんの手助けになりますように、と思って作ったものは、きっとちゃんと世の中に広まっていくのだと思います。
マナカードも、フラも、ライターの仕事も、私はぜんぶ、みんなに楽しんでもらいたいと思ってやっているつもりです。
もし、名声とか、エゴとか、プライドでやっていたら、なにかお勉強しなくてはいけない出来事がどかーんと起こることでしょう。
エゴではなく、心からの気持ちでやっていれば、必要なものを天は与えてくれる。
そう思って、日々過ごしています。

24. 「自分だけの個性」

ある大手企業の創業者W氏が以前、テレビのトーク番組に出ていました。
自分の身一つで、全国にチェーン展開できるほどまでの会社を作り上げたW氏の話は、とても明快でなるほどと思わせるものでした。

会場に来ていた学生の1人が、こんな質問をしました。
「自分は音楽の世界でやっていこうと思っているが、食っていけるか不安だし、周りの友人達が就職活動をしていると、とても焦りを感じます。Wさんは不安に感じたことはなかったんですか?」
W氏はこう答えました。
「自分は会社を興すって決めていたから、みんなが就職活動をしているときも、何の不安もなかった。逆に、自分は周りとは違うんだ、と再認識できた」

周りが当然のように就職活動をしている中、自分は皆と違う道を進む、という思いを確認していたW氏は、「悩む」ということは全くしないんだそうです。
「悩んでいる時間がもったいない。もし難しいなと思う事態があっても、どうやったら解決できるかを考えることに時間を使います」
いろいろな話を聞いていて、本当にとても面白かったし、さすが、大きなことをする人は違うな、と感じました。

「みんなと同じ」であることが、常識人であったり、良いこととされる日本。
でもそれって、個性を殺しているのと同じ。
それぞれ、自分しか持っていない才能や個性があるのだから、それを発揮しないと、人生を謳歌できないんじゃないかなぁ。

以前、ハワイ取材でヘアメイクを担当してくださった人から、たくさんアドヴァイスを貰いました。そのときに、自分がいかに自分自身の個性を殺していたかを知りました。
おでこが広いのがイヤで、前髪で隠していたけど、それでは逆効果であること。エキゾチックに見られがちな顔立ちがイヤで、薄化粧していたけど、それがまた自分の魅力を半減していたこと。
「それはあなたにしかない個性じゃない!」と言われ、今までの自分を反省。

自分でイヤだな、と思っている部分が、案外、人からは魅力的に見えていることもある。みなさんも、自分の思い込みを捨て、殻を脱ぎ捨て、個性を発揮してくださいね!

25. 「責任を取る」

ある著名人Kさんが、自分が経営しているアマチュア野球チームに所属している芸能人が不祥事を起こしたため、チームを解散すると宣言した騒動がありました。結局、存続することになりましたが・・・。

Kさんが取った行動に色々と考えてしまいました。
きっと球団は存続という形になるであろう、と予想していたのは私だけではないはず。
昼の番組に、ある文化人がコメンテーターで出ていて、非常に良いことを言っていました。
責任っていうのは辞めることじゃない、辞めることは逆に無責任なんだって。
ずっと関わっていって、抱えることが責任をとることだって。
もしも自分の関係者にそんなことが起こったら、自分は本人と徹底的に話し合って、それで結論を出しますって。

批判するつもりはないけれど、なんだかいろんなことを考えさせられる事件でした。
私も、生徒を抱える身だから、同じ状況にならないとは限らない。
組織を経営している以上、いつだって、なにかあったら責任とらなくちゃいけないって、覚悟している。
なにを言われても、文句言われても陰口たたかれても、平然としていなくちゃいけない。
そして、何かが起こったときには責任を取らなくちゃいけない、そういう立場だから、この一連の騒動は、他人事じゃありませんでした。

会社なんかでも、社員が問題を起こすと、社長が頭を下げる。
自分がやったことじゃなくても、問題を起こした人を雇っていたという責任があるから。
アカデミーだって、もしマナカードを使って生徒の誰かが問題を起こしたら(もちろん、そんなことはないと思っているけれど)、私や相棒に、矛先が向かってくる。
そんなとき、正しく責任をとるためには、どういうことをすればいいのか?
難しいですよね。
企業のトップって、たくさんお給料をもらっていても、当然だと思う。
だって、それだけの精神的重荷を背負っているのだもの。

私は、たびたび神社などでご奉納などをやらせていただいているけれど、そのチームのリーダーMさんが以前、こう言っていました。
「ご奉納でみんなを集めるとき、私にはみんなを巻き込むという責任がある」と。
そんなふうに腹をくくって召集していたとは知らなかった私は驚いたものでした。

さらに、カウンセリングをやっている友人がこんなことを言っていました。
「自分のカウンセリングを受けたクライアントさんが、あっちこっちでひんしゅくを浴びているようなので、思い切って、そのひんしゅくを浴びている点について注意をした。自分のカウンセリングを受けた以上、自分には責任がある」
カウンセリングが続いているわけではないけれど、きちんとクライアントさんに注意をしたなんて、偉いですよね。
人には、それぞれに責任のとりかたというものがあると思う。
普段はへらへらしていても、責任をとるべきときはとる、そんな格好いい人間になれるように精進したいと思います。

26. 「虹を作るのは自分自身」

マナカードに、虹のカードがあります。ハワイ語で虹はAnuenue、カードの意味は”変容”。
あなたの中の影の部分、陽の部分、人生の中の良いこと悪いこと、すべてに光を当ててあげることで虹がかかる、という意味のカードです。

ときどき、「あそこに行けば自分が変わる、何かが変わる」という言葉を聞くことがあります。
たとえば、「伊勢神宮に行けばなにかがわかる」「ハワイに行けば自分の何かが変わる」。
でも、「そこに行けば何かが変わる」わけではないと思うのです。
もちろん、その土地のエネルギーに触れて、何か気づきを得ることもあると思うし、パワーアップすることもあると思う。
でも、そこに行きさえすれば、なんにも努力しなくても自分の人生が良くなるわけでも、変わるわけでもない。

光を当てるのは、自分自身なのです。誰かが当ててくれるわけではない。
自分の力で当てることができないと、たとえ一時的に誰かが光を当ててくれたとしても、一生当ててくれるわけではない。
「あそこに行けば何かが変わる」と思い続けている限り、じゃあ、そこに行けないときはどうするの?って思う。
「あの人は私に気づきを与えてくれる」では、その人がいなくなったらどうするの?

肝心なのは場所ではないし、他のなにかじゃない。
いつでも光を当てられる自分でいること。
そして、なにか物事が起こったとき、プラスの面を見られる自分でいられること。
マイナスのことが起こったとき、どうしてそれをマイナスと思うのか考えてみる。
そして、その物事からプラスの面を探してみる、そして光を当ててあげる。
虹を作るのは自分自身。
どこにいても、誰といても、虹をかけられる自分でいたいですね。

27. 「人が一番難しい」

講座などをやっていると、いつも思うけれど、参加者全員が満足する、ということはかなり難しい。人が求めているものは、それぞれ違うから。
マナカードの著者キャサリン・ベッカーが以前こんなことを言っていました。
「大学で一番人気のある先生の授業でさえ、生徒は文句を言う」(キャサリンはハワイ大学の教授)
主催者というのは、感謝をされることもあれば、文句を言われることもある、それがサガだから「何を言われてもしょうがない」という覚悟がなければできない。
それは、自分で何かをやっている人はみんなそうだと思う。
たとえば、ロミロミのサロンをやっていたとして、精一杯施術しても、もっと力いっぱいごしごしやってもらうほうがいい、というタイプと、優しくやってもらいたい、と思っているタイプの人がいたら、満足度が違うでしょう。

山がいい、という人もいれば、海がいい、という人もいる。肉が食べたい、という人もいれば魚がいい、という人もいるでしょう。 十人十色とは、よく言ったもの。
個性もそれぞれ、だからこそ、地球は豊かなんですよね。
地球上に、同じ人ばっかり何十億人もいたらイヤですものね(笑)。

だから、主催者は、参加者の好みで決めるのではなく、自分達が信じることを精一杯やるしかない。 相手ありきではなく、自分が満足できるように行動していけば、それがひいては周りの幸せに繋がる。
自分が不幸せで、いつも何か足りなくて、なんて状態じゃ、誰かの幸せも願えないですものね。
だから、講座では、マズ自分が一番楽しむようにしています。
そして、その波長と合う人、好みが合う人、それを受け取ってくださる人たちだけが、自分たちの元に残ってくれるのだと思う。

私は、団体旅行なんかでも、ほとんど不満に思ったことがありません。
まあ、劣悪なツアーに当たったことがないせいもあるかもしれないけれど。
なにか不便があっても、ま、いいか、これも楽しいでしょう、っていう感じ。
あるとき、ちょっとねー、っていうホテルに当たったことがあったけど、まあ、これも経験って思ったし。

特に、スピリチュアル系のワークショップなんて、普通のツアーと違うのは、エネルギーが集まるから、いろんなことが起こりやすい。予定通りに行かないことのほうが多かったりするし。だから、その場その場で考えを切り替えて、そのときの流れに合ったスケジュールでやらなくちゃいけない。
でも、予定通りじゃないことに腹を立てる人もいるし、だから、難しい。
でも、いつも思うのは、どんな状況にいても、最大限に受け取れる人っていうのは得だし、得るものが大きい。

「人との関わりには常に祝福がある」。私の大好きなスピリチュアル・リーダーの言葉です。
人を相手にする仕事っていうのは、大変なことも多いけれど、喜びも大きい。
ありがたいことに、こんな私でもついてきてくれる人たちがいて、本当にありがたいと思っています。

28. 「させていただけるありがたさ」

「人に何かをしてあげる」というのは、自分が主体になった考え方だけど、実は「させていただいている」のですよね。相手がいて初めて成り立つのだから。
たとえば、誰かに食事を奢るとします。でもそれは、その人が自分と食事をしてくれるからできるのであり、その人がこちらの奢るという行為を受け取ってくれるから初めて成り立つ。
だから、受け取ってくれる相手がいるって、とてもありがたいことですよね。
お金を払って受けて下さる生徒さんたちがいるから、私の講師としての仕事もやらせていただける。ライター業だって、読んでくれる人がいるからできること。

以前、あるテレビ番組で、男性の司会者が言っていたことがとても納得でした。
女医さんが数名いて、その女医さんたちに「デキる女とは?」というお題が出ていました。
女医さんの1人が「食事はワリカン」と答えました。
男性と食事をするときも、私はお金を出します、と誇り高く答えていたのです。
その後に、司会の方はこう言いました。「男は食事を奢ることで満足したいんだよ」。

私は男じゃないけれど、お世話になった人や、かわいい後輩や生徒などに奢らせてもらうとき、とても満足感があります。それははっきり言って自己満足なのだけど(笑)。
以前、ある人に奢らせてもらったとき、「いいです、いいです」と何度もお金を私に払おうとして、中々引き下がってくれなくて、途中からとっても困ってしまっことがありました。
それから私は、人が奢ってくださるというときは、素直に受け取るようにしています(笑)。
だって、受け取ることも、相手への恩返しだから。
そして、与えるほうも受け取ってもらえることで満足する。

だから、私たちは一方的に与え、一方的に受け取るのではなく、本当にお互い様なのですよね。
受け取ることで与え、与えることで受け取っているのだから。
何かをさせていただける、って本当にありがたいことです。

29. 「人生は不思議」

自分の人生を振り返ったとき、そして現状を思うとき、なんでこうなったんだろう?って不思議に思うことが多々あります。

先日、作詞家であり、各分野で活躍している阿木曜子さんのインタビューをテレビで見ました。
旦那様はロック歌手の宇崎竜童さん。学生時代より付き合っていた2人が結婚してからも、宇崎さんは売れない歌手。
そんなる日、宇崎さんがバンドを組んで、作詞を阿木さんに依頼。
それまで作詞なんてしたこともなかった阿木さんは、ベッドに横になりながら、適当に10分くらいで書いた詩、それがあの大ヒットとなった「港のヨーコヨコハマヨコスガ~♪」。
それからというもの、次から次へと作詞の仕事が舞い込み、売れっ子作詞家となった阿木さん。
書いた詩がボツになり、あと30分で詩を書き上げないとレコード発売に間に合わない、というピンチのときに、半分ヤケになって書いた詩が、山口百恵さんの「プレイバックPart2」だったそう。
阿木さんは、「作詞家になるなんて夢にも思ってなかった」と言う。
あんなに作詞で有名な人なのに、と私は意外に思いました。

人にはいろんなパターンがあると思う。
「絶対にこうなる!」と思って成し遂げる人と、「気がついたらこうなっていた」という人。
私はというと、後者です。
20代の頃は、「28歳くらいで結婚して、30歳で1人子供を産む。その後にもう1人くらい産んで、子供の手が離れたらパートでもする。旦那を支え、幸せな家庭を作る」と思っていました。
それ以外には考えもしなかったんです。
留学も、憧れはあったけれど、絶対にしたいと思ったわけではなく、人の縁でたまたまハワイに留学することになったし。
踊りも、好きだったし習いたかったわけだけれど、たまたま弟子入りした先生がショーダンサーだったため、私もいろんなショーに出演することになり。
ライターの仕事も、たまたま出版社の人と知り合いになり、機会を与えられたのがきっかけで、文章の勉強をしたこともなかったんです。

そして、今はなぜかマナカードやフラ、ハワイ文化を教えている。
マナカードをはじめて手にした日には、想像もしていなかったこと。
マナカードの出版までして、会社まで経営しているのだから、人生というのは本当に自分の想像とは違った方向に行くものです。

いつも、「たまたまそうなってる」という私だから、あまり、「こうなりたい!」とか「絶対にこうなってやる!」という意気込みはないし、今後もどうなっていくのか検討もつかない。
きっとまた、意外なことになっていくのでしょう。
それがどんな道であったとしても、「自分が本当に今生でやるべきこと」に向かってちゃんと進んでいっているように、と願っています。

30. 「カルマミラクル」

自分の好きなタイプと、実際に付き合う相手は必ずしも一致しないですよね。
本当はこういうタイプが合っているのに、なぜかいつも違うタイプに引かれてしまう。
本当に自分に合っている人を選べるようになるまで、何度も同じタイプでつまずいてしまう人もいる。ドリルの問題集と同じで、クリアするまで、また同じレベルを繰り返さなくてはいけない。
そのレベルをクリアしないと、次にはいけないから。

私もそれを経験しました。私が好きになるタイプというのは、大体が、バリバリ仕事をしていて、世界を飛び回っているような人。年上で頼りになるタイプ、でした。
ところが数年前、私がよく通っていたニューエイジショップの店長さんと話をしていたときのこと。
そのときにデートしていた相手も思い切りそういうタイプの男性で、その男性の話を店長さんにちらっとしたところ、「あなたはどうしてもそういうタイプに惹かれやすいですし、そういうタイプの男性もあなたのところに惹かれてきます。でも、そこにあなたの幸せはありませんよ」とズバっと言われたのです。私は、もうかなり目からウロコ!
みなさんにも、そういう経験はありませんか?(笑)

結婚や恋愛で出会う人には、カルマを残している人が多いようです。
特に結婚は、カルマ解消にはうってつけ! だって、人間関係の中では、結婚が学びが一番多いでしょう? だから、前世で敵同士だった2人が結婚することも多いそう。
そういう場合、第一印象で、「いやだな」とか、「この人はありえない」など、悪い感情を抱きます。もちろん、すべての人がそうなわけではありません。
カルマとか関係なく、ただただ一緒になることを約束したカップルもいます。

明らかにタイプじゃない人に恋をしてしまうことがあります。
冷静に考えると、ルックスも好きじゃないし、いろいろと問題も多いのに・・・。
私はそれを「カルマミラクル」と呼んでいます(笑)。
カルマを解消するためには、相手に興味を持ち、関係を持たなくてはいけない。
そうなってくると、男女の場合は恋愛をするのが一番の早道。
相手の顔に「遮(シャ)がかかる」というか、軽くモザイクがかかるというか(笑)、なぜか好きになってしまう。2人の間にいろいろなことが起こり、「もう別れたい」とか「この人のここが許せない」とか思いつつ、「別れなくてはいけない」ことをうすうす気がついてはいても、どうにもできなかったり。
まだカルマの解消が済んでいないときには、別れる決意をしたところで、また2人の仲が近づくような出来事を神様が用意してくれちゃったり……。

私にも経験があるけれど、後になって思うと、「なんであんなに好きだったの??」と不思議に思ったりするものですが、その渦中にいるときは、自分の力ではどうにもならないのです。
おそるべし、カルマミラクル!
みなさんも、カルマミラクルに遭遇してしまったときはつらいですが、がんばって乗り越えてくださいね!(笑)

31. 「一事が万事」

ライターの仕事、マナカードを教えること、セッションをすること、フラを教えること、たくさんの活動を通して、本当に多くの人たちと接します。
そんな中、実感したことは、小さなこともちゃんと大切にすること、がとっても重要であること。
小さなことを大切に出来ない人は、多くのことを成し遂げることができないと思う。

たとえば、メールのやりとり。
いろんな人からメールをいただきます。講座の申し込み受付などはスタッフがやってくれるけれど、マナカードに関する細かい質問やセッションのことなどは、できるかぎり私が直接お答えしています。
ブログやHPを見て下さった方々や、生徒さんからのメール、取材依頼などなど。
私は基本的にメールは読んだ時点で返事を書く事にしています。
後で、と思って置いておいて忘れてしまったらいけないし、迅速かつ丁寧を心がけているから。どんなメールにも必ずお返事するし (無視は人間として絶対にダメ!)、お返事に時間がかかりそうなものに関しては、(例えばなにか調べなくちゃいけないとか)「また改めてメールします」と一度お返事を出して、改めてメールします。

メールのやりとりを通して感じたことは、「出しっぱなし」とか「もらいっぱなし」「最終的なお返事がない人」が多いこと。
たとえば、質問のメールがくる。そしてこちらからお返事する。
そうすると、それっきりお返事がない。
それじゃあメールが届いたのかも読んだのかもわからない。
「わかりました。ありがとうございました」、そのひと言が来ない。
メールだからこそ、一方的ではなく、相手を思いやってやりとりしなくちゃいけないと思うのですが……。
「先生、こんなことあってこう思うのですが、どうでしょうか?」とメールがくる。
それに対してお返事する。すると、それっきり。そういう人が多いのは悲しいことです。

以前、ハワイ取材に行ったときのこと。スポンサーのHさんが一緒だったのですが、Hさんは若くして(30代半ば)会社をいくつも経営している実業家。
Hさん曰く、毎日三百通近くのメールが来るそう。1つのメールに5分で返事をしたとしても、何時間もかかる。そんな忙しいHさんは、ハワイから成田に着いたらすぐに飛行機を乗り換えて韓国で仕事。返事は来ないだろうと思いつつ、お礼のメールを出すと、次の日にはちゃんとお返事が着ました。
レストランで食事をする時間がないほど忙しかったハワイ取材の中、ちゃんと奥さんとお子さんにお土産も買っていました。「忙しくて一緒に過ごす時間が少ないから、家族がぶーぶー言っているよ」と言いながら、それを埋め合わせするようにたくさんお土産を買ってたHさん。
それだけの器を持っているからこそ、大きなことができるし、成功できる。

私は「忙しい」を理由にするのは好きではありません。忙しくても、できる人はできる。
寝る時間を5分削れば1通のメールが出せるし、1本の電話ができる。
私の友人で超人気漫画家のMさんは、睡眠時間が3~4時間の毎日でも、ちゃんと連絡くれるし、ファンレターをくれた人たち全員に年賀状を出している。世界中を飛び回っているデザイナーの友人は、お世話になった人たち全員に、会った直後に手書きのお礼状を出すのを習慣としている。

一事が万事、なのだと思うんです。
仕事ができる人は、プライベートも上手くいっている。
細かな気配りができる人はメールのやりとりもきちんとできるし、人を大切にしているから人からも大切にされる。
そういう人は多くの人から支持されるから、仕事もプライベートも上手く行く。
結局、器の大きい人というのは、小さなことを大切にできる人なのだと思う。

32. 「人間としての器」

元サッカー選手の中田英寿さんを密着したテレビ番組を見ました。
世界中を旅している中田さんの姿を、本人のインタビュー付きで紹介していました。

中田さん曰く、「サッカーのおかげで得たものもたくさんあるし、失ったものもある」。
失ったものの一つが「感情を表に出すこと」。
確かに、中田さんはいつもインタビューなどでは無表情。「多くの人に見られるため、感情を出すことができなくなった」と語っていた中田さん。わかる気がします。自分の言ったことが違うニュアンスで伝わることも多いマスコミの世界。その中で自分を防御するには、無表情でいることが最善策だったのでしょう。

アジアの貧しい地域を訪ね、子供たちにサッカーボールを寄付している中田さんの、子供たちと一緒にボールを追いかけている姿はとても活き活きとしていました。
言葉は通じなくても、子供たちに微笑みかけ、コミュニケーションを取っている中田さんの目はとーっても優しく穏やかでした。
あー、この人は本当にいろんな経験をしてきて、自分ひとりでいろんな重荷も背負ってやってきたんだな、と実感させられました。
これだけの器を持っているからこそ、人々に注目されるような存在になったのだろうし。

もう一つ印象に残った番組。それは占い師Hさんが芸能人を占う番組。
ゲストに元X-JAPANのYOSHIKIさんが出るというので、思わず観てしまいました。
私がまだ10代後半だったころ、YOSHIKIさんのインタビュー記事を読んで、かなり衝撃を受けたのを今でもしっかりと覚えています。かなりスピリチュアルだったし、目からウロコでした。

YOSHIKIさんといえば、その才能もさることながら、かなり破天荒な性格で有名。(私が以前仲よくしていた仕事仲間が元関係者で、裏話をよく教えてもらっていました)。
それというのも、彼が10歳のときに父親が自殺。だから、彼の書く詩はすごく刹那的。

今ではかなり性格が円くなったようではあるけれど、かなりの天才肌であることは間違いなし。
そんなYOSHIKIさんが「結婚はしたい」とおっしゃったのでちょっと意外!
すると占い師Hさんは、「この人は難しいと思いますよ」とひと言。
そのワケは「これだけの繊細でわがままな人を支えようと思ったら並の女性じゃ無理。それに、大抵の女性は彼に会うと、きゃ~、YOSHIKIさ~ん、となってしまうのでダメ」
う~ん納得! 「素敵~」と目がハートになってしまうレベルの人では到底釣り合いませんものね。「でもね、いるのよ、そういう器の女性が絶対に。その年まで独身だったんだから、そのレベルの人を見つけて有終の美を飾りなさい」とHさんは力強く締めくくっていました。
才能があるって素晴らしいことだけど、あまりにも才能がありすぎたり、カリスマ性がありすぎると近寄りがたくなってしまう。
結構天才に孤独な人が多いのはこういうことなのかもしれない。
YOSHIKIさんの才能や世界観、哲学、そして繊細さや破滅型の性格、全部受け止めることができる、器の大きい女性がどこかにいるのでしょうね。

器って、持って生まれたた大きさと、経験を伴って大きくなっていく器と両方があると思う。
元々器が小さい人もいると思うけれど、経験や努力で大きく出来る。

そして、器の大きさは、年齢とは比例しない。年をとっていても器の小さな人はいるし、若くても器の大きな人もいる。自分がいろいろ大変なときは、自分より大きな器の人と一緒だと楽。自分に余裕があるときは、自分より器が小さい人と一緒でも何も感じないのだけど、自分が大変なときはちょっとしんどいかも。
でも、小さくても大きくてもどちらにしろ、器の大きさが違いすぎると疲れますよね。
同じくらいの器を持っていて、お互いに支えあうのが一番いいかな~と思います。
器の大きさ、目で見えたらわかりやすいのに(笑)。
私の器はCカップですとか言って(笑)。

33. 「心配より信頼」

先日、友人が主催しているある会に行ったときのこと。
参加者のある女性がいろいろなことを胸にしまいこんでいて、それを吐き出させてあげるために、音楽をかけ、言葉を投げかけてあげる、という手法が行われていました。
みんなで彼女を癒すために、泣いている彼女を抱きしめてあげたり。
そこにいたほとんどの参加者が、感動で、もしくは慈しみの気持ちで泣いていました。
見渡すと、泣かずにケロっとしていたのは私だけ。

いろいろな経験を重ねてくると、めったに泣かなくなるもんだなぁ、と実感しました。
テレビを見たり、小説を読んだりして泣くことはある。
でも対人となると、セラピストの仕事をしているといろんな人と接するから、いちいち泣いたり同情したりしていては、仕事にならない。
そのへんは、お医者さんと同じだと思う。
お医者さんも、どんなにひどい病気の人を相手にしていても、常に冷静でいないと身が持たない。
必要以上にクールになる必要はないけど、どんな状況にいても、ブレない自分でいないと駄目。

それに、自分が困ったとき、相手にどうしてもらいたいかというと、「心配」するよりも、「信頼」してもらいたいって思う。
心配や同情のエネルギーって、役に立ちません。それって、マイナスのエネルギー。
「あなたなら大丈夫」というプラスのエネルギーを送ってもらいたい、って思います。
「大丈夫?」ではなく、「大丈夫!」。
「かわいそう・・・」ではなく、「大変だったね。でもあなたなら大丈夫」と応援のエネルギーを送る。それが私の理想です。

34. 「謙虚さ」

有名になればなるほど、活躍すればするほど、謙虚に……。
こんなことを感じることが最近いろいろとありました
ある会に参加したときのことです。そこはみんなでシェアする場所なのに、一人だけ「主役のエネルギー」で来てしまう人がいたのです。
私の知っている人に、自分がちやほやされると上機嫌だけど、他の人に注目が集まると、つまらなそうな態度になってしまう人もいます。
自分に自信がある人は、決して目立ったり自慢するようなことはしません。

却って謙虚に控えめにしているほうが、逆に人をひきつけるものだ、そう感じさせる人がいます。ホクレア号のキャプテン、ナイノア・トンプソン氏。
ホクレア号とは、古代の伝統的な航海術を再現したカヌー。2007年、日本の沖縄・熊本・長崎・福岡・山口・広島・愛媛(宇和島)・横浜に寄港しました。その際、横浜での入港歓迎セレモニーで、ナイノア氏は何回も強調していました。
「自分が代表としてここに立っていても、私はスタッフの1名にすぎない。この航海は、クルーたちと、支えてくれた大勢の人々全員で成し遂げたものだ」と。
謙虚で控えめな人柄が伝わってきました。

セレモニーでは、横浜の高校生たちが和太鼓を演奏したのだけど、それについても「彼らの演奏を見れば、彼らがどれだけ今日の日のために練習してきたかがわかります」というナイノア氏。これにはじ~んときました。「素晴らしい演奏でした」その程度の言葉なら誰でも言えます。でも、彼らの演奏を聴いて、彼らのこれまでの努力までもちゃんと汲み取ってあげられるナイノア氏、素晴らしい!

ナイノア氏は、セレモニーだというのに地味なTシャツにジーンズといういでたち。さらには他のクルーたちを全員前に立たせて、自分は目立たないように後ろに下がって、他のキャプテンに挨拶をさせたりなどの気配りをしていました。
これだけ有名になっても、「あくまでも自分はスタッフの1人にすぎない」と何度も繰り返すナイノア氏の姿は、多くのことを教えてくれた気がします。
そして、ナイノア氏は日本人のことを「平和を実現していく強さを持ったひとたち」と称していました。
「日本人は、長崎、広島、あれほどのひどい目に遭っても、その思いを、憎しみではなく、平和へと向けていくことができたのだ」と。

活躍している人ほど、それを誇示するようなことはしない。そして、そんな人柄だからこそ、多くの人が指示し、サポートする。そして、そういう人のすごいところは、その人柄に触れた人の心さえも変えてしまうこと。ナイノア氏のそばにいて、ナイノア氏の人柄を感じた人なら、自慢したり傲慢になるようなことは絶対にないはず。
ただ佇んでいるだけで、周りの人を変える。
服を脱がすのが北風ではなく、太陽であるように。そんな人に私もなりたい。

35. 「常にセンタリング」

感情的になるのが一番いけない、そう学ぶような出来事が何度かありました。
ビジネスでも、プライベートでも、何かが起こったときに、感情的になって怒ったり攻撃したり、一方的にまくしたてたり、そういう人がたまにいらっしゃる。
そういうとき、こっちができることって、常にポリアフでいること。

ポリアフとは、ハワイの雪の女神さま。マナカードでは、ポリアフのカードは「不動の強さを持つように」というメッセージとして使われています。
ハワイ神話では、火山の女神が雪の女神ポリアフに戦いを挑むのだけど、怒りを爆発させるペレとは対照的に、ポリアフはじっとただ立っているだけで、ペレの溶岩を凍らせてしまいます。
ジタバタとエネルギー燃やすより、冷静に状況を見ているほうが難しい。
私もここ数年、何度かそういう場面に遭遇しました。
そのたびに、「ポリアフになって」と自分自身に問いかけます。

攻撃してくる人っていうのは、怖れを持っている。怖れているから、武器を持つ。自分を守ろうとして攻撃してくる。そういうときは、ただこちらは受け止めるしかない。
そういうときに反撃することは、相手のレベルと一緒になってしまうこと。
だから、あえて、何もしないで、ただ受け流す。
感情的になるのは本当によくない。たとえ、相手がとても失礼なことを自分にしたとしても、だからって感情で相手に訴えるのは駄目だと思う。

それと、よく、「伝えたいことがいっぱいあって、熱くなって語りまくっている人」がいるけれど、それもあまり効果的だとは思えません。
熱くなって語れば語るほど、聞いている人の心は引いていくと思うんです。
私なんて、「あー、熱くなっているなぁ」って観察しちゃう。
そういうふうに語られた言葉って、心に染み入ってこないですもの。
本人の情熱とか、思い入れとか、そういうものが強すぎると、聞いている方は疲れてくる。
だから、熱くなるのは気持ちとしては理解できるんだけど、あくまでも、冷静に穏やかに、センタリングした状態で語らないと、伝わるものも伝わらないと思う。
何があってもセンタリングしている自分でいたいと思います。

36. 「言葉のむずかしさ」

人生で、愛する人を亡くしたとき、友人や知人たちから慰めの言葉をいただく。その慰めの言葉って、本当に難しい。私も、経験があるけれど、その慰めの言葉で傷つくことがある。
特に、スピリチュアル好きな人は言葉でいろいろ言いたがる人が多い気がします。
今でも忘れられない、イヤだった言葉。
父がICUに入っていて、いつ命がなくなるかわからなかったとき。
「今、お父さんはそうやってカルマの解消をしているのでしょう」と言われたこと。
父が亡くなって、家にお焼香に来てくれた人が 「魂は生まれ変わるってわかっているから、自分は誰が死んでも悲しくない」と言ったこと。

スピリチュアル関係の人たちから、いろんなその手のことを言われて、一時期私はスピリチュアル大嫌い人間になってしまいました。
自分が一番悲しかったとき、慰めてくれたのは、スピリチュアルなんてぜんぜん知らない友人たちでした。
相手が悲しみにあるときにかける言葉って本当に難しい。
「元気だしてね」→元気出せるわけがない。
「魂は永遠だから」→そんなのはわかっているよ。
「あの世から見守ってくれるよ」→わかってはいるけど、肉体を持った状態で会いたいんだよ。
正直、そんなふうに感じてしまったこともあります。

だから、悲しいことをたくさん経験した人ほど、言葉が少ない。ただただ、「わかってるよ」「体を大切にネ」という温かい目で見てくれる。
経験していない人ほど、言葉でなんとかしようとする。
だから私は、悲しみの渦中にいる人には、言葉で接するより、態度で示したいと思う。

そして、悲しみにいる人、苦しみの中にいる人には、本人の気持ちにただただ共感することが一番の慰めだと思う。絶対に、反対のことを言ってはいけないと思う。
たとえば、「元気が出なくて」というせりふには、「そうだよね、元気でないよね」と共感する。
決して「元気出して」なんて言わないほうがいい。
「悲しいんだよ」というせりふには、「悲しまないで」じゃなくて、「悲しいよね、悲しくていいんだよ」って共感する。
「頑張って乗り越えてください」じゃなくて、「今はただ悲しんでいればいいんだよ、頑張らなくていいんだよ」って。それが一番なんじゃないかと思う。

37. 「正負の法則」

先日、ある番組にあるゲストが出演していました。そのゲストは、過去に想像を絶するような悲劇を味わった人で、そのときの苦悩を語っていた。今でもその悲しみは消えていない、と語るその人に、ホスト役の人が、「正負の法則」を説きました。
つまり、芸能人として華々しく成功して、芸能人として活躍する人と結婚し、子供ももうけた。その光の部分を味わったということは、逆に負の部分も訪れるのだ、ということ。
それを聞いたゲストは、「うーん……、それにしてもひどすぎた」と納得できない顔をしていました。
それを見たとき、「正負の法則」という言葉は、とても難しいと感じました。
そのゲストは、一生かかっても消えないくらいの悲劇を味わった人です。
その悲しみに対して、「正負の法則だから」という言葉は、あまりにも酷な気がしたのです。

たとえば、今とても不幸のどん底にいる人に対して、「今これだけの苦労をしているということは、これからは良いことがあるよ」というふうに、希望を持たせる励ましの意味で「正負の法則」を使う分には良いと思う。
けれど、「正負の法則なんだから、今が不幸でも仕方ない」という意味合いで使うのでは、その人の気持ちは決して晴れないし、却って気分が暗くなるのではないかしら……。

そのホスト役の人は、本当に過酷な、波乱万丈な人生を送ってきた人だと思うし、いろいろ乗り越えてきたからこそ、その人生経験で語っているのだと思うけれど、人間は誰しもその人みたいに強いわけではない。
その人その人に合わせた励ましの言葉、慰めの方法があると思う。
だから、もちろん、「正負の法則」はあるのだと思うのだけど、その言葉がすべてを解決するわけではないと思う。
同じように、「すべては必然だ」という言葉も、苦しんでいる人に対しては酷な言葉だと思う。確かに、必然で起こったことかもしれないけれども、でもそれによって苦しんでいるわけだから……。

良いことがあったら悪いことがある、そんなふうに正負の法則を捕らえてしまうと、恐怖を感じてしまう。幸せの最中にいるときに、「じゃあ、悪いことが起こるんだ!」って思ってしまう人もいるかもしれない。だから、正負の法則っていう言葉は、私はあまり好きになれません。
「人生良いこともあれば、悪いこともある」、そんな感じで軽く捕らえていたほうがいいように思うのです。

38. 「責任とプレッシャー」

とてもありがたくラッキーなことに、いろいろなイベントに出させてもらったり、ワークショップをやらせていただく機会が多い。自分の名前がチラシやHPなどに出るたびに、身の引き締まる思いがします。なぜなら、お話を受けた時点で私には責任というものがあるから。
具合が悪いから、都合が悪くなったから、などと言って変更したり、キャンセルするわけにはいかない。体調管理も仕事のうちのひとつだから、普段から気をつけています。

私には著名人と言われる友人が何人かいますが、彼らの講演会のギャラはすごい金額!
2時間くらい喋るだけで、それだけの金額をもらえるなんて、楽でいいなと思う人もいるかもしれない。でも、そのプレッシャーはすごい、とある著名人が言っていました。
「絶対に飽きさせてはいけない、楽しませなくてはいけない」
原稿をあらかじめ書いたり、何度も自分の中で話を組み立てる。何百人もの人を相手にしなくてはいけない。主催者の人を満足させなくてはいけない。そのプレッシャーが重くのしかかり、最近では講演会は断っているという著名人もいます。

芸能人はよく、「親の死に目に会えない」って言うけれど、そういう覚悟をしていないとできない仕事だと思う。
自分の名前で人が集まるような講演やコンサートであればなおさら、責任がつきまとう。
お客さんがチケット代を払うようなイベントならさらに責任も倍!
責任の重さとギャラの高さは比例するものなのかもしれません。
もちろん、どんな仕事に関しても責任を感じるけれども、やはり大きな仕事っていうのはのしかかる責任感も大きい。そして、その分、お金だけじゃなくて、得るものも大きい。
たくさんのプレッシャーをかかえても、成し遂げることができるような器の人間になっていけたらいいなと思っています。

39. 「罪と罰」

この世に存在するどんなことが罪で、どんな罰が下るのだろう?
サイキックな友人に、「バチは当たるのか?」と聞いたら「当たらない。当たると思っている人には当たるけど」という答えが返ってきました。
つまり、「こんなに悪いことをしてしまって、自分には絶対に悪いことが起こる」と思っている人には、その思いが「悪いこと」を引き寄せるから、バチが当たるということになる。

たとえば、私の知っている人で、家庭を二つ持っている男性がいます。でもそれって、たとえばイスラム圏のように一夫多妻が許されている国では、罪にはならない。でも日本ではそれは罪ですよね。法律が違えば、罪の意識も違う。
私の個人セッションを受けてくださるクライアントの方々でも、不倫で苦しんでいる人は結構いらっしゃいます。夫がいるのだけど、他に好きな人ができてしまってというパターンもあれば、自分は独身だけど好きになった人には家庭があって、というパターンもあり。それは本当に苦しいことだろうと思う。

ただ、宇宙規模で見た場合、相手が結婚しているとかしていないとか、同性か異性かとか、年齢の差だとか、そんなことはどうでもいいことだと思う。真の愛情というのは、そんなことを超えると思っています。
不倫はいけないことって言われているけれど、結婚という制度がなかった大昔では、そんなの関係なかったはず。 ただ、それで誰かの気持ちを深く傷つけるのだったら、そこにはカルマが生じるのではないかと思う。
イスラムでも、「妻たちを平等に扱えないのであれば、一夫多妻はするべきではない」と教えているし。

殺人だって、誰かに虐待されていて、こっちが殺さなくちゃ自分が殺されるような正当性のあるものであったら、神様だって罰しない気がします。
この世に悪があってこそ、善というものを知ることができる。そういう意味では、悪人と言われる人々だって、その役割を担っているのであって、罪深い人ではないのかもしれない。
本当に誰かのために、愛ゆえにやってしまったのなら、それを罪だと言い切る権利は誰にもない気がしてしまうのです。

40. 「自分のタイミング」

今までの自分の人生を振り返ると、かなり自由に生きてきたと思います。
なかなか自分のやりたいことを見つけられなくて、もがいて苦しんで落ち込んでいた期間が長かったし、動きたいのに動けない時期も経験したから、今の自分は本当に幸せだと満足しています。
私にだって、こんなんでいいの?って焦った時期はありました。
友人たちが普通に就職し、普通に結婚して、普通に子供を産み……。
母親からもプレッシャーがかかる。世間一般での「平均」からは外れた自分。
会社員になって、夏と冬にはボーナスをもらって、花金には同僚たちと飲みに行って、っていう普通の生活はできなかったけど、自分の人生はこれでよかったのだと思う。

プロレスラーのジャガー横田さんが、テレビで何度かこう言っているのを見たことがあります。
「自分は結婚も出産も遅かったけど、これが自分の人生のタイミングだと思っている。45歳で子供を産んだけど、自分は母親になる器になったのがこの年だったのだと思う」。
遅いのではなく、それが自分の人生のタイミングなんだっていう表現が、素敵だなって共感。
人と比べることなんてない。
自分にとってのタイミングで生きていけばいい。
最近は確信を持ってそう思えるようになりました。

41. 「勢いがあるよりも」

仕事も趣味も恋愛も、勢いがあるときより、淡々と、もしくはちょっとずつ気長にやるほうが長く続く気がします。
フラやマナカードの講座なんかでも、「絶対に習いたいです!」とものすごい勢いで情熱的に語る人ほど、それっきり来なかったりする(笑)。
逆に、「この人、楽しいのかなぁ?」って感じるくらいの人のほうが、長く通ってくれたり。

サロンをやっている人も、同じことを言っていました。「また来ます!」とノリノリの人ほど、それっきり来なくて、淡々としている人のほうが常連さんになってくれたりするそう。
恋愛でも、最初から燃え上がる出会いって、続かないことが多い気がします。ひと目でビビっときて、とか、好きで好きで仕方ない~、みたいな出会いって、カルマ的な出会いが多いから、一緒にいても苦しいことや大変なことが多かったり、結構きつい恋愛だったりする。
その逆で、最初は別になんとも思わなかった~、みたいな出会い方のほうが続いたりする。
もちろん、ビビビで結婚して長年うまくいっているご夫婦もいます。

占星術師の人が言っていたけれど、ホロスコープで夫婦の相性を見ると、案外さっぱりとしている相性が多いのだそう。
結婚するからといって、劇的な星の巡り合わせだったりするとは限らないらしいです。
人生には勢いが大切なときもあるけれど、長く続けたいときは、ちょっとずつ、がいいかもしれませんね。

42. 「楽に生きなよ」

「もっと楽に生きなよ」。サイキックな男友達M氏から言われた言葉。
時々、彼から胸をズキューンって射抜かれるような言葉をいただく。彼はこうも言った。
「どうしてもっと自分自身のことだけに集中しないの? もったいないよ」

ときどき、この2つの言葉が頭の中でこだまする。
確かに、私にはいつも周囲のことを気にして、誰かのことを心配して、気持ちが漂ってしまうクセがあります。
「他人のことなんかどうでもいいんだよ、もっと自分のことを考えなさい」とM氏から言われたとき、ほんとだよな~って反省しました。

思えば私は子供の頃からそうでした。
あるアメリカ人サイキックいわく、「他人の感情やエネルギーを吸い取ってしまうスポンジ」な体質である私は、他人の感情と自分の感情の区別がつかないこともありました。
今は強くなったのでスポンジではないのだけど、相変わらず他人のことに気を取られてしまう。
「もったいない」とM氏から言われたとき、今まで考えもしなかったから、びっくりしました。
ほんと、人のことなんか気にしている場合じゃないですよね。
もっと自分に向かわなくちゃ、って反省。

さらにM氏に言われた。「アロヒさんは、完璧主義だから」。
自分ではそんなつもりがないのですが、後で相棒の新井先生に聞いてみたら、「アロちゃんは完璧主義だよ~」と当然って顔で言われました・・・。
自分のことはわからないものですね。そしてこのセリフに繋がりました。「もっと楽に生きなよ」。
もっといいかげんでいいんだってことなんですよね……。
もっと自分にいろいろ許してあげていいみたいです。

以前、冗談で、「私って繊細だから~」と言ったとき、ある人から「そんなの見ればわかります」と言われ、ショックでした。そう見られたくなかったから。
感受性が高いだとか、繊細であるとか、言われることがあるけれど、そう見られるのはイヤだったりする。
もっと、なんてことない風にいろんなことをやってのけているような感じに見られたい。
白鳥が、水の下ではバタバタやっているけど、平然と優雅に泳いでいるような、そんな風に。

先日も、ある人から「いろいろ気を使っていたよね」と言われ、これまたショック。
そう見られているということは、私が気を使っているのが周囲にバレバレであるということで、それって恥ずかしいな、って思う。
そんな自分がイヤで仕方ない、と言ったとき、「そうやって細かいことに気がつくっていうのは、アロちゃんの良さでもあると思うんだよ」と相棒の新井先生は言ってくれました。
「もっと自信持ちなよ」とは、相棒からよく言われる言葉。
「もっと楽に生きなよ」の言葉とともに、私の課題。

43. 「見た目は大事」

人は見た目で判断するものである。
人は見た目じゃないよ、っていう言葉もあるけど、でもやっぱり見た目の影響は大きいし、人の目につきやすいのは、中身じゃなくて見た目のほうが大半だと思う。
たとえもし私がどんなに踊りの名手であったとしても、髪はボサボサ、顔はシワシワ、体つきも最悪、着ているものもセンス悪い、なんて状態だったら、誰も私の踊りを見たくないと思うし、どんなに素敵に踊っても感動しないと思う。
見た目が人に与える影響って、多大だと思います。

社会で成功している人はそのへんをきちんとわかっている人が多いと思う。
たとえば、成功している男の人は、靴は絶対にピカピカに磨いていたり、時計は良いものをつけていたりする。
ある友人が言っていたけど、一流のひとたちと仕事をするときは、良いボールペンを持つようにしているそう。そういう小さなことで、相手のこちらを見る目が変わるそうです。

たとえば、すごい一流の人が安いものを見につけていたら、「案外庶民的」と好印象を与える場合がある。
でも、一流じゃない人が安いものを見につけていたら、そのまんまなんですよね(笑)。
別に高いものを見につける必要はないんだけど、あまり安っぽいものを見につけるのは、ある程度の年齢までくると、イケてない気がする。

テレビ番組「ソロモン流」を見ていると、成功している人たちって、食事に気をつけていたり、体を鍛えている人が多いですよね。すごく忙しいのに、合間をぬってジムに行ったり、毎朝マラソンをしていたり。名前は思い出せないけど他にもたくさんの一流人たちが、体を保つために日々努力している。すごいなぁって思う。

生徒さんたちって、よく先生のこと見ている。あのときあの服着ていたとか、あのとき顔色があまり良くなかっただとか、あのときこんなことをしていたとか。びっくりするほど見ている。
だから、せめて見苦しくないように、と気をつけているつもり。
見た目で判断されて損をしないように、と思っている。
見た目で良い判断をしてもらい、さらに中身でも、っていうのが良いですよね。

44. 「理解されたい欲」

「人間には、基本的な欲として、食欲、睡眠欲、性欲のほかに、認められたい欲というのがあると思う」と、友人であり漫画家のMさんが言っていました。
私は、そこに、「理解されたい欲」というものもつけ加えたいな、と思う。
人はみんな、「人から理解されたい」と思うものなのじゃないかなぁ。
必要とされないこと、そして、理解されないことほど悲しいことはないと私は思っています。

自分のことを理解してくれる人がいるということは、ラッキーなことだと思う。
そして、誰か一人でいいから、真に自分のことを理解してくれる人がいれば、人は幸せなのではないかと思う。
皆さんの周りには、自分を理解してくれている人はいますか? もしいたら、その人を大切にしてください。そういう人がいるということは、とても幸せなことなのですから!

45. 「あなたの恥は私の恥」

そして、私の恥はあなたの恥。
なにか変なことをしていたり、間違ったことをしていたときは、お互いにはっきりと注意すること。これは、私と相棒の新井先生が約束していることのひとつです。
一緒にビジネスをしていて、四六時中一緒にいる私たちだから、お互いの恥は自分のもの。だって、どちらかがすごく変だったとき、傍から見た人は、「なんで一緒にいて注意しないんだろう?」って思うでしょう?
結婚している人だったりしたら、なんで夫なり奥さんが注意しないんだろう?って思うし。

歌手の和田アキコさんが「大人の叱り方」という本を出しました。
和田さん曰く、「有名になって、お金も貯まって、友達もたくさんいる。でもどこか満たされない虚無感がある」と。
それはなぜかと考えたとき、誰も自分を叱ってくれなくなったって。ある程度の地位に来てしまったこともあるし、自分の年齢になると誰も自分に注意をしてくれないって。

相棒は私にちゃんと注意してくれる。それは違うと思う、とか、もっとこうしたほうがいいと思うよ、とか。だから私はとても安心していられる。「変だったら言ってね」と相棒もいつも私に言う。だから私もちゃんと相棒に伝える。
私はフラの生徒たちにもちゃんと注意します。月謝に汚いお札を入れてくる子には、「人にお金を渡すときは、きれいなお札にするのが礼儀ですよ」と。
メールの返事を寄こさない子には、読んだら返事してね、と。

注意してもらえるって、本当にありがたいことですよね。
和田アキコさんも言っていたけど、叱るって労力を必要とする。
見て見ぬふりするほうが楽に決まっている。そのほうが相手から嫌われなくてすむし。

私の場合、それが、まったく情を感じない相手だったら、なにも言いません。子供だったら、親が教えなかったのが悪いということになるけど、やはりいい歳になってからの無知というのは、本人のせいですから。
でも、情のある相手だったら、相手を傷つけない程度に伝えるようにしています。
私はそこにちゃんと愛情があれば、叱ったり注意することで仲が壊れることはないと思っています。逆に、それで壊れるような仲なら、たいした縁じゃないと思うんです。

46. 「誰だって甘えたい」

大人になってくると、なかなか人に甘えるということができなくなってきます。
特に、男の人は、甘えることができないから大変だなぁって思います。
私が普段からお世話になっている友人夫婦がお子さんを亡くされました。
ご自宅にお焼香に伺ったとき、旦那さんのほうが私にこう言いました。
「母親や親戚から、お前がしっかりしなきゃって、言われてさ。俺だってつらいのに」って。
私にはその気持ちが痛いほどわかりました。私も身近でそれを体験したからです。

「長男なんだからしっかりね」「あなたが家を支えなくちゃね」。父が倒れたとき、そしてその後に亡くなった時、私の兄は周囲の人たちから散々こんなセリフをかけられていました。家のことだけじゃなく、父の会社のことまでいろいろな処理をしなくてはいけなかった兄は、本当にたくさんの重荷を背負っていました。
父が息を引き取ったときも、その翌日も、まったく涙を流さない兄を見て、「冷たいな」と思った私は、兄嫁に「兄貴は悲しくないのかなぁ?」と聞きました。すると、兄嫁からは意外な言葉が返ってきました。「ずーっと泣いていましたよ。大丈夫なのかと心配になるくらい」。兄は、私たちの目に入らないところで泣いていたそうなんです。
(結局、告別式の挨拶では、みんなの前で泣いてしまった兄でしたが)
泣きたくても、誰かに甘えることもできないまま、現実に向き合っていかなくてはいけない立場というのは、本当につらいものですね。

男の人は女の人みたいに泣くことが出来ないから、何倍も苦しいんじゃないかな、って思います。友人夫婦の旦那さんの言葉を聞いた時、悲しみの深さは同じなはずなのに、男の人だからってしっかりしなくちゃいけないっていうのは、酷だなぁってつくづく思いました。
男の人っていうのは、女性よりも背負っているものが大きいのに、弱音を吐くことができなかったり、愚痴を聞いてもらえる機会も少なかったりします。

女性なら、エステに行ったり、いろいろなストレス解消法もあるけど、男性にはあまりそういう機会がないし。
だから、頑張っている男の人を見ると、「誰かに甘えたりできているのかなぁ?」って心配になったり、思わず応援したくなったり。
そして、男女問わず、大人になればなるほど、誰かから誉めてもらったり、認めてもらったり、甘えることができる機会が少なくなっていきますよね。
だからもし、そばに甘えられる相手がいたら、思い切り甘えたほうがいいと思うんです。
そうやってバランスとっておかないと、いつか潰れちゃうと思うから。

47. 「ゆるす」

今までの人生の中で、未だに心に残る許せない人、許せない出来事があります。
誰にでもひとつやふたつ、あると思う。

巷には、許しについての本が何冊も出ています。
その手の本を何冊読んでも、「おっしゃることはわかりますけれども、でも許せないんですよ」、そんな気持ちになったりもしました。
もう何年も前のことですが、許しについての本を出しているある方の講演会を聞きに行きました。
「誰かを許さずにいるということは、その人を自分の頭の中にある牢屋に入れているのと同じです。牢屋にいれていると、その許せない人に食事まで与えなくてはいけないし、せっせと世話をしているのと同じ。消耗するのはあなたです」
そうそう、ほんとうにそうだよね。でもね、でも許せないの。
わかっちゃいるけど、それで許せるような簡単なものじゃないの。そう思っていました。

あるとき、残念ながら本のタイトルは忘れちゃったんだけど、ある本を読んでいたとき、とうとう、私を納得させる言葉に出会いました。
「許すということは、相手の行為を正当化することではない。あなたを、その想いから解放させてあげることなのです」
確か、こういうような言葉でした。
つまり私は、「許すということは、相手のひどい行為を正しいことだと認めてしまうことになるのではないか」ということを恐れていたのだと思います。

だって、あんなにひどいことをしたんだよ! そのあの人が許してもらえるだなんて、そんなことあっていいの!?
そんなふうに思っていました。
だけど、そういう憎しみ、わだかまりから、自分を解放してあげること、それが許すということなんですね。それがわかったとき、ほっとしました。
怒りをもっていること、憎しみを持ち続けることは、燃え盛る鉄のパイプをずっと持っていることと同じ。火傷するのも消耗するのも自分。
わかってはいても、なかなかそれを手放せないでいたとき、許しについての素敵な言葉に出会って、救われた気がしました。

私の大好きな占星術師ジョナサン・ケイナーのサイトにも、このようなことが書いてありました。

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以前、歌手のピーター・アンドレが過去の出来事を許す気持ちがあるかどうかと聞かれているインタビューを見ました。
彼はこう言っていました。
「怒りの感情を持ちつづけることは、自分が毒を飲んで相手が死ぬことを期待するようなものだ」と。
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結局、許しって、他でもない、自分を楽にさせてあげる行為なんですよね。
そして、自分が変われば周りも自然に変わる。
人と人は見えない糸で繋がっているから、自分が楽になれば、周りの人にも伝わって、みんなが楽になる。
自分がした良い選択は周りにも良い影響を与える。それが宇宙の法則だから。

相手を許すのではなく、相手を許せない自分を、その気持ちから解放してあげる。
もし許せずにいるみなさんがいたら、ぜひやってみてくださいね。

48. 「お金というエネルギーの循環」

「儲けているんでしょうね」と言われることがたま~にあります。
活躍していると思ってくださっていての発言だと思うので、まあなんというか、儲かってないと思われるよりはいいかな。
マナ・カードアカデミーおよびホクラニ.インターナショナルをスタートさせてからというもの、なんでも経営者側からの見方で見るような癖がついてしまいました。
街を歩いていても、お客さんがあまり入っていないお店とか、回転の悪いレストランとかを見ると、いろいろと考えてしまいます。
これがいくらで、従業員が何人いて、家賃もあるから、赤字なのでは?とか、余計なお世話なのだけど、つい考えてしまう(笑)。

人は、見えるところしか見ないものだから、たとえば、講座料金だって、単純に「高い」とか「安い」とか感じると思う。実際、私もそうでした。
でも、そこに、家賃だとか、光熱費だとか、人件費だとか、法人だったら法人税や消費税とか、会計士さんに支払うお金だとか、目に見えない経費がたくさんかかっている。
目に見える経費より、目に見えない経費のほうが多い。
たとえば、ミュージカルだとかバレエだとかのチケットって、1万円以上したりする。
でもそこに、あれだけの舞台装置、あれだけのスタッフの数、宣伝費、出演者のギャラ、などなどを考えると、チケット代金が高くなるのは当たり前だな、と思います。

相棒とアカデミーと会社を一から創ったわけだけど、最初のうちは、ほとんどタダ働きの日々でした。今だって、ほとんどお金にならないような仕事もやっています。
でも、金額にこだわらずに、精一杯やっていると、回りまわって、最終的にはなにか大きなモノになっていたりします。
経営者側の気持ちがわかるようになった今は、あまり、「高い」とか「安い」とかで判断しなくなりました。

「高い」には理由がある。「安い」にも理由がある。
「授業料が高いから」というようなことを理由にして、講座に来ない人は、最初からそれほど情熱がないのだと思う。もちろん、本当に家庭の事情や金銭的な問題を抱えている人はいると思うし、そういう場合は仕方ないと思う。
しかし、なんでも「お金がない」を理由にする人は、案外と、本当にお金がないのではなく、「そこに出すお金がない」、つまり、「それほどのお金を出すほど興味がない」ということなのだと思う。

趣味でやっているのではない限り、ある程度のお金は貰わないとやっていけない。
スタッフにお金も払えないし、会社だって維持できない。
クオリティの高いものを提供するためには、常に勉強していなくてはならない。
お客様からいただいたお金を、もっと良いものを提供するための自分の勉強代に使わせていただく、そういう気持ちでいます。
受け取ったお金で、自分が気持ちよくいられる環境を作り、旅をしたり、講座を受けたり、いろんな体験をして自分を高める。そうやって日々の体験を通して得た学びやエネルギーを、またみなさんにシェアする。それこそ、良いお金、良いエネルギーの循環なのだと思います。

私の友人のセラピストは、定期的にセッション料金を値上げています。その理由は、「自分も成長しているから」だといいます。成長して、能力も高くなっているから、値上げる。そして、入ってきたお金で、また勉強し、いろんな知識を得て、またセッションに生かしていく。
お金もエネルギーも上手に循環させていきたいですね。

49. 「中道をいく」

ブッダが悟りを開いたときのストーリーで有名なのが、弓の達人が弟子に「弓はぴんと張りすぎても、緩すぎても飛ばない」という言葉をかけ、それを耳にしたブッダが「中道を行く」ことに目覚めた、というくだり。
私は、この「中道を行く」ことが一番だと思っていて、モットーとして掲げています。

何事も、やりすぎは良くないし、偏りすぎも良くない。
私は、本格的にマクロビオティックを学びました。でも、普通に何でも食べますし、無農薬の野菜が手に入らないときは農薬付きの野菜を買うし、時間がないときは電子レンジも使います。
マクロビをやっていると、行き過ぎの方をたまに見かけます。そうなってくると、社会に対応できなくなってくるのでは?と思うのです。

「昔ながらの食事がいい」とは言っても、環境が昔と違うわけだから、現代に適応できるようにするには、ある程度ジャンクなものも必要だったりするではないかな、と。
この競争社会に生き抜くには、お肉が必要なのさ、という男性も多いと思う。
お子さんをマクロビで育てている人は、給食を食べさせないでお弁当を持たせたりしているらしいけれど、じゃあ、修学旅行とかがあったらどうするのかな?と思う。あまり無菌状態で育てるのも、社会に適応できない子になっちゃうのでは?と思ったり。
だから、あまりにも徹底するのも怖いなぁ、と思うわけです。ひとつのものに固執し過ぎるのはバランスが悪いと思うのです。

プロのフラダンサーとしてそれだけを仕事にしている人だったら、茶髪に長髪に日焼けに、アロハシャツでもいいと思うのだけど、私は講師やライターの仕事もしているので、一般社会に対応のルックスにしています。これも、私なりに中道を行っているつもり。
スピリチュアルなことも好きだけれども、ちゃんと現実的なことも考えているし。自然療法も好きだけど、西洋医学にもお世話になるし。
何事も、両方取り入れて、中道を行く。それが現在の私の生き方です。

50. 「当然そうなる」

あるとき、電車の中で、あるセラピストさんの本を読んでいました。そこには、引き寄せの法則のことも書いてあって、「お金が欲しいときは、お金大好き!とポジティブなエネルギーを出していたら、お金が寄ってくる」というようなことが書いてありました。その手のことは、いろんな本にも書いてあるので、珍しいアイディアではないのだけれど、せっかく読んだのだから実践しようと思い、心の中で「お金大好き!」とつぶやいてみました。
そして電車を降り、道を歩いていたら、なんと目の前に千円札が落ちていました……。
私はそれをどうしようか迷ったけれど、引き寄せの法則をわかりやすく体験したことをありがたく思い、ありがたく千円をいただきました。

この話を、サイキックな友人M氏に言ったら、「なんで千円だったかわかる?」と聞かれ、「わからない」と答えると、「罪悪感を持たずにもらえる金額だからだよ。もしそれがもっと大きなお金だったら、もらえなかったでしょ?」と言われ、確かにそうだと納得。 実際、千円でも、コンビニの寄付金の箱に入れたほうがいいかどうか迷った私でした。
私は、「お金大好き」と心でつぶやいてはみたけれど、それほど絶対にお金が欲しいと思ったわけでもなく、軽い気持ちで言っただけでした。よく、執着がないほうが引き寄せはうまくいく、と言うけれど、ほんとにそうだな、と実感。

熱心に願うことと執着との違いってなんだろう?
M氏曰く「力が入ったら執着」なのだそうだ。
確かに、「絶対に欲しい!」って思うことって、力が入りますよね。
だから私は最近、「絶対」という言葉を使わないことにしています。
セラピストをしている友人が以前こう言っていました。
「レストランで注文するのと同じよ。注文したら、それから後は、それが出てくるのかなんて一切考えないでしょう? 当然出てくると思っている。そんな感じでいいの」
だから私は、「当然そうなる」と思うようにしています。
当然○○○○、というセリフって、自分を妙に納得させることができちゃうというか、私にとっては落ち着く言葉です。